デイリーフレネ

日々の状況や教育エッセイをJF代表・木幡が執筆。メールマガジンでもお届けしています。登録はこちらから

2005年01月18日

VOL/955

//////// CONTENTS //////////////////////////////
1.スカイレール、again!
2.お寺雑感―お便りです
3.シュークリームを作った!―熊谷
==================================================
★今日はなんの日
1911 大逆事件で幸徳秋水ら24名に死刑判決
★今日の花言葉
うきつりぼく「憶測」
★今日は誰の誕生日
ビートたけし(1947 O型)
小椋佳(1944)
衣笠祥雄(野球 1947 O型)
おすぎとピーコ(1945)
ケビン・コスナー(俳優 米 1955)
モハメド・アリ(ボクサー 米 1947)
★今日の名言
「教育者には、教育の精神をもって教える人と、教育の
形式で教える人と二種類ある。」
 ―石川啄
■1.スカイレール、again!■
      ↓
http://www.jfreinet.com/report/index2004.htm
先週登場した「スカイレール」。組み立てるのは、
それはそれは大掛かりな作業だった…。なんだか
壊すのがもったいない。そんなこんなで、今日も
机の上に保存状態。

「違う形にもしてみてよ」
木幡マンからのリクエストで、(ロングヴァージ
ョン)に変形。フレネのスペースいっぱいにレー
ルを伸ばす、ひでき。
みんなが公園に出かけた後は、りょうすけ、はる
やがさらなる変形を試みる。これがなかなかおも
しろい!!
りょうすけとはるやが考えた軌道は、一回転式。
鉄球がくるっとまわるかと思いきや、下に落下し
て、ポールの溝穴に偶然はまって大爆笑!
まちちゃんと木幡も参加していろいろいじっている
うちに…、「あー!」レールが外れてぐじゃぐじゃ
状態。
「おれ、知らんもんね」木幡、撤退…。
「木幡さん、ずるいぞー!」
前身で楽しめる科学おもちゃでした!
■2.お寺雑感―お便りです■
四国のSさんからのお便りです。
------------以下、転載。
お四国さんの歩き遍路をした生徒さんが、お寺に物
見遊山に出かけるのに、異議をとなえておられるよ
うです。そのへんのことについて、すこし。
テレビなんかで見ると、チベット人は、聖地カイラ
ス山のお参りに、五体倒地、全身を地面にひれ伏せ、
また立ち上がり、を繰り返しながら、何ヶ月もかけ
て行くそうです。
また知り合いのイギリス人のお祖母さんは、なぜか
ヨルダン人ですが、念願のメッカ巡礼から帰って、
感激のあまり、1年間、泣き続けていたそうです。
こういう、信仰のために、日常生活のあらかたを犠
牲にするような行動を、いまのほとんどの日本人は、
「狂信」という言葉でくくりますが、中世の仏教説
話などを見ると、自分の死後の世界のために、いま
もっている、地位・財産・家族はおろか、自分の生
命も喜んで投げ出す人々の話ばかりです。
いつから日本人は、「狂信」とさっぱり縁がなくな
ったのか、これは結構面白い歴史上のテーマだと思
います。 
江戸時代の前、織田信長の天下統一の最大の障害は、
あちこちに割拠する大名ではなくて、大阪の石山本
願寺、浄土真宗の集団でした。大名とは取引ができ
ますが、門徒宗は「根切り」といって、数万人を皆
殺しにしなければなりませんでした。
江戸時代始めには、天草島原のキリスト教徒を数千
人殺したり、鹿児島では、島津藩は隠れ門徒、浄土
真宗の信者を弾圧したことがあります。
さて、それが今では、「狂信」というとオウム真理
教のようなものしか、思い浮かびません。それと同
時に、教団施設の近所の人たちの、教団排除の異常
な熱心さです。「宗教」なんぞにかまけて、みんな
と同じ生活信条を持たない人間が、受け入れ難いこ
となんでしょう。
お寺や神社は、本来は宗教の施設ですが、物見遊山
の対象であることと、昔から矛盾はしていませんで
した。お寺のほうでは、お賽銭10円なら、10円
のご縁、おみくじ1回引いてくれたら、1回分の縁、
ご本尊をちらっと見てくれただけでも、ちらっとの
ご縁だと思っているでしょう。
しかしそれでいいのか?、ということは、お参りす
る人と、お寺・神社のほうでも、信仰のあり方を考
えねばならないでしょう。
で、最後に、わたしは四国に住んでいますので、お
遍路について、すこし書きます。 
柳田國男の本に、まだ江戸時代のことでしょうか、
彼の実家か養子先の長男という人は、放蕩から花柳
病にかかり、不治を告げられ、巡礼に出たきりにな
った、とありました。
また44番札所、大宝寺のそばにいた人の話では、
お遍路さんは、いまは白装束なんか着てきれいにし
てるけど、昔はぼろ雑巾の塊のようなものだった、
といいます。また51番の石手寺の門前には、昭和
30年頃のらい予防法の制定までは、らい病患者が
集まっていました。(そういうお寺は各地にあった
でしょう)
そのころの、そういう人たちは、普通の人たちの喜
捨にすがって、わずかな命をつないで歩いていて、
歩けなくなった所が死に場所だったのです。だから
お四国参りは、若い人が、是非とも行って見たいも
のだと、あこがられるようなものでは決してありま
せんでした。
こうしてみると、仏教はやたらとふところが広くて、
物見遊山もOK、らい病も花柳病もOK。歩き遍路
は、それは感心してはくれますが、だからといって、
ベンツで乗りつけた人はお断り、というわけでもあ
りません。 
でもいまの違和感は大事にもっていてください。
<花柳病とか、柳田國男とか難しい言葉があります
が、木幡さん、噛み砕いて説明してくださいませ>
--------------以上、転載終了。
こんにちは!木幡です。
メール、ありがとうございます。
四国巡礼の旅に出た生徒、最初は怒っていましたが、
柴又七福神にも来てくれ、小さい子どもに参拝の仕
方など教えてくれました。
私の祖母が浄土真宗本願寺派の熱心な信者で京都に
お参りに行ってはありがたがっていました。
私は全くの無神論者ですが、朱印帳を持って参拝に
行きます。これは一つのラリーですね。美しい字に
出会うと嬉しくなります。
巡礼で思い出すのは、松本清張の「砂の器」です。
これも、戦前の<らい病>がベースになっています。
■3.シュークリームを作った!―熊谷■
   ↓
http://www.jfreinet.com/report/index2004.htm
今日のものつくりはお菓子。まずは作るものを決め
るところから。
「何、作りたい?」
「ババロア。」
「シンプルにホットケーキ!」
などなど、いろんな案が出てくる。さて、何に決め
ようかと、みんなで写真とにらめっこ。
と、しぃちゃんがお菓子の本を持ってきてくれた!
「じゃぁ、ここから決めよう!」
ということで、なんとシュークリームに決まり。い
きなりの難関コース…。
それでも、まずは挑戦!
●みんなで大苦戦…
大きく分けると、生地とカスタードを作らなければ
ならない。
生地には四苦八苦。
「お店みたいには、上手くいかないね!」
一生懸命に混ぜて練るものの、『お餅くらいの固さ』
まで練り上げるのは至難の業。
「手が痛くなってきた…」と、交代で。何とか練り
上げてオーブンで焼くも、これはカントリーマァム
みたいなクッキーに…。
一方のカスタードはとっても上手にできた!シュー
クリームには程遠かったけれど、生地の上にカスタ
ードを乗せて食べると、
「おいしいよ!」
片づけをしながら、ユータ君、
「また、お菓子作りたい!リベンジ!」
この声が出たのがとっても嬉しい!また挑戦しようね!