デイリーフレネ

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2007年01月26日

vol/1290

============= ◆   日刊通信   ◆ =============
============= ◆ デイリー・フレネ ◆ =============
-------------------- VOL/1290--------- 2007/01/29
//////// CONTENTS //////////////////////////////
1.上野動物園へ行こう!-新宿
2.熊谷は木幡マンのお授業―衛生の文化
3.木幡マンの一夜一冊(40)
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★今日はなんの日
1872 初の全国戸籍調査、総人口約3300万人

★今日の花言葉
こけ「母性愛」

★今日は誰の誕生日
キャサリン・ロス(女優 米 1943)
チェーホフ(作家 露 1860)
ロマン・ローラン(作家 仏 1866)

★今日の名言
「空中独り唱す白雲の吟」
            ―夏目漱石―

※ 死ぬ二十日前に作った最後の漢詩の最後の行。

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■1.上野動物園へ行こう!-新宿■

http://www.jfreinet.com/report/index2006.htm

● ふれあいコーナーって?

久しぶりの動物園。都内の小中学生は入園料が無料
というから、嬉しい限り!

人気があるのは、動物たちとのふれあいコーナー。
「お触りコーナー、行くか?」
「どんな感じがいるの?」
OBドラゴンとおきょうの会話は、ちょっと違うニュ
アンス…。

ちゃんとヤギやヒツジなどの動物たちと触れ合って
きました。

● 思いがけず銀杏

「拾って拾って!」
おもむろに袋を取り出して、銀杏を拾い集める、け
んちゃん!「おばあちゃまに御土産にするから」

「くっせー!指に臭い付いた!」
「持って帰るの?…臭い」
と言いながらもみんなも拾う。

● モノレールに乗った!

「ねぇ、モノレールに乗ろうよー」と、りょうすけ。
東園から西園に続くモノレールに乗りたくて仕方が
無い。
「だめー。歩けない距離じゃないんだから」
ということで、行きも帰りもみんなで歩く。

帰り際、モノレール乗り場の前で…
「モノレール乗りたい人ー?」と聞くと
「はぁーい!」
「今から乗らせてくれるの?」と、興奮するみんな。

「じゃあ、はい。これね。乗って乗って!」
パネル製のモノレールを指差す。

「えー…でも、乗るー!」
希望者でギュウギュウ乗って、記念撮影をしました!


■2.熊谷は木幡マンのお授業―衛生の文化■
   ↓
http://www.jfreinet.com/report/index2006.htm

今日は木幡マンのお授業。まずは、
「毎日歯を磨く?」
「家に帰ったら手洗いうがいをする?」
など衛生に関する質問を10項目。

「毎日ズボンとか洗う人!」
「うーん…。」意外と少ない…。
「風呂には入るけれど、頭は洗わない。」なんて
珍回答も…。

●開拓時代のアメリカでは…

その後、1850年頃のアメリカにおけるお風呂、洗
濯に関する質問。
「どのくらいのペースでお風呂に入っていたでしょう?」
「洗濯は??」

結果は…。
「う。臭そう…。。。」

その後、『洗濯』という言葉を中心にシンキングマップ
作り。
「洗濯に必要なものって何だろう??」
「水!」
「洗剤!!」
「人もだよ。」

さらに当時の社会事情を加味しながら、なぜ洗濯や
お風呂の頻度が少ないのかを考えていく。

さらには、そもそも『衛生』という言葉の概念が生まれ
たのはいつなのか?という歴史まで。

●今を生きるみんなは??

今日のお話は今のみんなの生活とはかけ離れた状
況。

だけど、いろいろな歴史の積み重ねによって今の生
活習慣がもたらされているんだね。昔の人たちもそ
の状況状況で生活を重ね、同じように今のみんなも。

便利さは増えたのは確か。
けど、その場その場で生きていく上で本当に必要な
ものって何だろうね。自問して終わるお授業でした。


■3.木幡マンの一夜一冊(40)■
   
●「いまを語る戦後教育」
   村田栄一編(三一書房 1996 2800円)

今はそれぞれの道を進んでいるけれど、村田栄一は
ぼくの師匠だ。ぼくは、彼の一番弟子だと自負して
いる。1969年、バリストの中、彼を呼んで自主ゼミ
を行って以来のお付き合い。

この本は、村田さんが「教育=希望」であった時代
を熱っぽく生きてきた人との対談集(日教組機関紙
『教育評論』に1995~1996にかけて連載)。

今は亡き遠藤豊吉や遠藤豊を含め、阿部進、野本三
吉、大田堯、槇枝元文、奥地圭子…。ぼくもオブザ
ーバーとしてこれまたぼくの師匠の一人遠藤豊(元
自由の森学園学園長)に同行して、この本で幾つか
の発言をしている。

今、その時の発言を振り返ってみると、<ゆとり教
育>に関連し、非常に興味深い。

木幡:これまでの枠組みを取り払って、子どもの側
   から考えるとどうなるのかということを考え
   なければいけないのだけれど(中略)、

   既成の枠をすべて取り払うわけはできないわ
   けだから、それを克服していく過程の問題と
   して、どういうふうに授業をつくっていった
   らいいか、どういうふうに生徒と交流してい
   くか、具体的な方法を持っていなければいけ
   ない。

   そういうことを一ぺんくぐりぬけていかない
   と、いきなり「授業からの解放」と言われた
   って現実的にできないですよ。(後略)

ゆとり教育は至極真っ当なんだけれど、それがうま
くいかなかったのは、現場にかなり問題があるんだ
ということをこの時点で予知していたということです。